治療の目標


医者からそう言われた気がする。でも実はよく覚えていない。診察室を出ると、ほとんど忘れてしまうから。自分が何を言ってたのかさえはっきり覚えていない。


診察ノートを見ながら、医者が付箋を貼ってたとおぼしきページを読み返してみると、「治らないのに治療してどうするの?」「治らないのに生きててどうするの?」と書いていた。

「過去のことをふいに思い出すことがなくなる治療ってあるの?」「たべられない。なんとかしたい」とも書いてある。



去年、私は精神科医から「あなたは薬を飲んでも治らない」と言われたことがある。

閉鎖病棟から退院後、なぜか涙が止まらず、抗不安薬がほしいと診察に行ったときだった気がする。涙が止まらない、不安だ、薬がほしい、と訴えたときに言われたのだ。

その精神科医は母の主治医で、父とも揉めていたから、もしかしたら家族構成員の私に苛々していたのかもしれない。


そういった経緯もあり、今は多量に薬を与えられていて、ただただ困惑している。

薬を飲んでも治らないんでしょう?なぜこんなに薬を出すの?意味があるの?



改めて今月書いたノートを読み返していると、自分で自分を突き放している単語が多い。あと、やはり『助けてほしい』が頻繁に出てくる。けれど、必ずそのあとに『自分でなんとかしないと』とつづいている。

過去の傷つき体験も多い。孤独感と恐怖感の訴えも多い。


今、私の身に起こっていることは、傷つき体験から発生する服薬の意味が見出せないことだろう。

薬物療法への不信感と精神科医への不信感で、どこか投げやりな気持ちが抑えられないでいるのかもしれない。


抗精神病薬5mgから25mgに増やす提案も退けた。医者は5mgでは足りないと言っていたが、私は25mgを多量に出される方が怖いのだ。ただでさえ今は抗不安薬訪問看護の人に預けているのに、これ以上多くの薬が四週間分出ると、どこかで多量に飲んでしまう。

実際、先月は死のうとする衝動を止めるため、抗精神病薬抗不安薬を多量に飲んで眠った。


また、抗不安薬の飲み方も変更してほしいと訴えた。ヘルパーと訪問看護師がくる時間にあわせてなのか、服薬時間が昼になった。けれど、やはり飲む意味があるのかわからない。

別に飲まなくても死にはしないのだ。



環境が変化した。医者も違う。だから薬は必要なのかもしれない。

けれど自分は何も変化していない気がする。

日々の不安と恐怖はいずれ慣れると諦めている。薬があろうとなかろうと、不安も恐怖も慣れればどうにかなるのだ。必ず環境に対して感情は鈍麻し、麻痺してゆく。

家族が離れていても近くにいても、家族は私を脅かす存在であることにはかわらない。離れて隠れている現在も、家族という存在は私を苦しめるものでしかない。


今は医者の言葉さえ届かない。

大量にある抗不安薬を目の前にして茫然としているだけだ。

その薬、飲む意味あるの?