無題

「家庭環境がある限り男女も同性も同じ」「結婚はお互いの家族が親戚になるものなので、そこまで考えて欲しいというか面倒なのが当たり前というか」


男女に違いはない、同性も異性も違いはないと指摘をうけた。



本当に違いはないの? パートナーシップ制度と結婚の違いってなに?


https://www.asahi.com/articles/ASP3H5R1LP3HIIPE01F.html



『扶養関係が認められた場合と比べると、月6千円ほどの扶養手当を受け取れないうえ、寒冷地手当は月1万円ほど低い。パートナーは健康保険の被扶養者になれないため、約5万円を払って国民健康保険に入った』


https://www.fnn.jp/articles/-/278487


『私とパートナーは同じ健康保険に入れない。扶養手当はない。寒冷地手当も低い。法律婚の夫婦のような税制の控除を受けられない』

『パートナーが命に関わる病気や怪我で意識不明になった場合は、医師から詳しい話を聞けなかったり、集中治療室に入れなかったりするケースも多い』



家族関係の煩雑さは同性も異性も同じだ。

異性であろうと同性であろうと、人間関係に変わりはない。そこはわかっているけど、法的保障がないパートナーシップ制度は、そんなに安易な考えだと指摘を受けるものなのだろうか?

二度目の更新

DV等支援措置の更新準備に奔走している。

市役所へ行き、提出用の書類をもらってから女性相談所に電話をかけた。去年はコロナ禍というのもあって電話面談で終わり、書類も郵送にて済んだが、今回は対面での面談を求められた。

さすがに家族の住む土地へ行くのは精神的にきついものがあり、再度相談したら、振興局か警察署へと別の場所に案内してもらうこととなった。


今日、初めてこの土地に来て振興局へと足を運んできた。とりあえず福祉課へ行ってみて書類を見せたら、意外とスムーズに話が動き、面談となった。

新しい支援先ということもあり、また最初から「なぜDV等支援措置を受けることになったのか」という話をすることになった。

トラウマティックなエピソードを淡々と話し続けた。

疲労感と感情の飽和でぼんやりしているような、あるいはハイになってるような、少し不思議な状態だ。


振興局のあとはお金を下ろしてきて、メンタルクリニックで主治医の意見書をもらってきた。就労移行支援に必要な意見書だ。

帰宅してから就労移行支援に電話して面談の約束をとりつけた。明日の13時に行ってくる。


連日の外出でクタクタだ。

分籍をしてきた

育った街へ行ってきた。メンタルクリニックPSWに付き添ってもらい、育った街へ行ってきた。


男性恐怖症の気もあるので、車中も緊張と恐怖感があったが、育った街に近づくにつれ、隣にいる人間よりも目の前に広がる見慣れた景色に恐怖を覚えるようになっていった。

来たことがある場所。

通ったことがある道。

見たことのある看板。

入ったことのある店。

目を閉じててもいいよ、と言われていても、目を閉じていたらよけいに怖くなりそうで、車中から見える道路をじっと睨んでいた。


頭の中は恐怖一色だった。もしかしたら郷愁の念でも感じるのかと思っていたのだが、まったく懐かしいとも思わず、ただただ怖かった。


事前にPSWが市役所の戸籍課やら住民課やらに電話をしてくれていたおかげで、特に私に対して説明もなく、すんなりと本籍地変更と分籍届を書き終わった。

変更した本籍地の場所は、市内で有名な場所にした。

たぶん、DV等支援措置を受けて本籍地変更をする人はこの場所にするのだろう。机のマットにはいくつかの住所が並んでいた。どれも国民なら知っている場所の住所。

きっと、私と同じ本籍地の人はたくさんいるのだろう。


元の市に戻ってからは、また住民課へ行き、三度目の支援措置用紙を書くことになった。

三度目の加害者記入。年に一回でも精神的に疲れるのに。来月もまた書くのに。今年二度目の記入をすることになった。


帰路、疲れてへとへとになりながら生活費をおろし、友人に送る年賀状を選んで買って、自転車の空気を入れてもらって家に帰ってきた。

帰宅して、友人と通話していたら「自分へのご褒美じゃなくて人へのご褒美買ってるよ!?」とつっこまれた。たしかに。

来週、メンタルクリニックの帰りにでも自分へのご褒美を買いに行こう。第一候補はスタバのシュトレンとコーヒー豆。

来週、育った街へ戻る。

戻るといっても市役所へ行くだけだ。


今日、メンタルクリニックに勤務するPSWと会ってきた。

PSWが家族の住む土地の市役所へ、送迎と付き添いをしてくれることになった。

正直に言ってとても怖い。ひどく恐ろしい。生理前なのも相まって、憂鬱というより恐怖で体が震えている。


二年。もうすぐ二年。DVシェルターに逃げて二年経つ。施設にいる間ですら、あの街は職員に付き添って歩いていた。二年たって、今度は別の支援者とともに街へゆく。


福祉関係の場所では名を変えて過ごしてきた。居心地が良かった。この名で生きてゆくのだと決める時間だった。

来週、戸籍という逃げ場のない家族の名前を突きつけられにゆく。

ひどく恐ろしい。

名前が怖い。家族が怖い。家族の住むあの街が怖い。


怖いから名前を変える。

名前を変えるためには戸籍を分けなきゃならない。

だから怖くても行かなければならない。


数年後の転居先の土地も決め、連れ添う相手とも約束した。

そのためには必要な手続きだ。


その場で架空の転籍を数回やり、分籍し、さらに住所のロックをかける。

分籍することで支援措置の変更があるのかわからないが、それは市役所で聞いてくる。

女性相談所では、分籍についてはわからないと言っていた。



這いつくばってでも生きてゆかねば。

新しい本籍地を決めておかなければ。

ふとした瞬間、支援措置も分籍も改名も、なにもかも諦めてしまいたくなる。

就労と改名

主治医から就労をすすめられた。

あなたは能力が高いから、と。

私はそんなに能力が高いとも思わないし、主治医にそれがわかるとも思えなかったが、ひとまず私の病状は安定していて、次のステップへ進むタイミングらしい、というのがわかった。


就労。すぐに浮かんだのは就労移行支援だった。

土曜日は就労の目標で浮き足立っていたが、日曜日になってふと思い出した。

改名だ。

働く前に改名をしなければ。

改名をした友人に相談していたら、私はまだ改名するための実績年数が少ないのが引っかかってきた。


ということで、B型作業所でのタイムカードや工賃入れなどをもらえるか、作業所に打診してみるとこらからスタートすることにした。

就労移行支援内でも通称名で通したい。


それから、就労移行支援では就職したい土地を指定できるらしいと聞いて、友人がいる土地へ行こうか、なんて思いもある。

お互いに支えあえたら、と思うのは甘い考えだろうか。

とりあえず、今住んでいるところより格段に求人数もあるだろう。大きな街だ。


とりあえず月曜日は各所にお電話だ。

支援者に振り回されている


今年に入ってから、社会福祉士や相談支援員と会話する機会が爆発的に増えた。

去年はヘルパーだけだったのに、今年は就労継続支援B型の職員数名、地域活動支援センターの職員数名と接するようになった。


虐待する家族から逃げている私にとって、今住んでいる場所や、あまり見かけない苗字を持つ名前から居場所を辿られることなど、それなりに不安がつきまとう人生を歩んでいる最中でもある。

医療系と福祉系に縁がある家族なので、居場所がバレることが本当に怖くてしかたないのだ。


そのため、就労継続支援と地域活動支援センターでは通称名を使用して利用している。この名前で生きてゆくのだと、名前を呼ばれるたびに強く思う。

だが、その福祉の職員からの会話が非常に疲れるものだった。



「どこから引っ越してきたの?」「地元はどこ?」「どこに住んでいたの?」など、プライベートなことを聞かれる頻度が高くなった。

私はシェルター経由で逃げてきたため、この土地に住むことになった経緯は、職員なら全員知っているはずなのだ。

引っ越してきた経緯などについては支援計画書に書いてある。私自身も控えの用紙を持っている。

ちなみに地域活動支援センターでも同じことを聞かれる。


以前、地域活動支援センターで、ため込んでいるつらさの一端を聞いてもらおうと、職員の一人に「死にたい」といった旨を話した。そうすると、職員は笑いながら自分語りをはじめた。

傾聴のスキルがない人だった。悩み相談をする相手を間違えたな、と今なら思うが、そのときはあまりにもショックで、相手の話がひと段落したところで帰宅した。

疲労困憊

B型作業所を休み続けている。

疲れがとれない、というのもあるが、職員によるプライベートな質問に嘘の答えをつかなきゃならないからだ。

私はDVシェルターを経由して逃げてきた身なので、プライベートな質問には答えにくいのだ。

地活も同じで、職員によるプライベートな質問がどんどん出てくる。


嘘をつきつづけるごとに心が削れてゆく。