ヘルパーさんと不調

過眠がひどく、毎日12時間睡眠で生きている。

シャワーも浴びれず、少しだけ遊べたら良いほうで。

自炊だけは頑張っている。ヘルパーさんが材料を買ってきてくれるので、自炊だけならできるのだ。

ただ、このメンタルの不調は、ヘルパーさんとうまくいってないのが一番の要因だと思っている。

 

男のヘルパーさんに交代してからのいうもの、買ってきてほしいものはかってきてもらえず、食べられないものの共有はされておらず、指定したのは買ってきてもらえずで、毎回ひやひやしながらヘルパーさんを迎えている。

 

 

北海道という、内陸に住んでいた私には寒すぎる土地で、毎日毎日凍えながら過ごしている。

どうしてここにすんでいるんだろう?という自問自答とともに、ひたすら憂鬱になりながら息をしている。

外に出ると雪で歩くのもままならない。凍えるほど寒い。ガス代や電気代を気にしてエアコン16度設定にし、コタツをつけてパソコンに向かったり電気毛布と湯たんぽの力を借りたりしてなんとか生きている。

 

とりあえず、これを書いたらシャワーを浴びてこようと思う。

行事

家族と過ごすものが多い年間行事がやってくる。

 

私には家族がいない。

厳密にいえば家族と絶縁しているだけ。

だから家族がいる人に対し、猛烈な嫉妬を抱えてしまう。己にないものを持っている人に嫉妬してしまう。

家族という、ほぼ誰にでもある存在を私は手放して、自分の人生とやらを歩んでいるけれど、やはり家族という存在は恋しいものなのだ。

 

嫉妬を抱えて過ごす時間が苦しく、もっている人々に対して憎悪が燃える日々は気が狂いそうになる。

 

羨ましくて、羨ましがる自分がよけいに許せなくてとても悲しくなる。

三年

家族の元から逃げた日から三年がたった。

 

居住場所を奪われかけ、金を奪われかけ、一生自分の人生などないと思っていたあの日から三年が過ぎた。

DVシェルターに逃げ込んだ三年前、あの日は雨だった。傘を握りしめ、今と同じコートを着て市役所の椅子に座っていた。電話越し、必死にDVシェルターの職員に事情を話していた。当時通っていた作業所の担当の人にシェルターに送ってもらった。

 

断片的にでも思い出すと涙がでてくる。

あまり詳しく思い出すと苦しくなるのでこの辺にして。

 

 

今の作業所のサービス管理者から、「あなたの人生を歩みましょう」というのが目標のひとつになっている。

 

私の人生。

 

私の人生とはなんだろう?

幾度となく自分に問いかけて生きている。

まだ私は自分の人生を生きている気がしない。

他者の視線を気にして、他者の言動に一喜一憂し、他者の軸に傾きながら生きている。

自分の軸なんてものがないまま。弱すぎる我を持ったまま。強い自我を持つ人にふりまわされながら。

我の強い人に迎合してしまう。

まだまだ私は私の人生を歩めていない気がする。

 

もう少し自分の意見を押し通そうとするだけの意志を持てたらよいのに、と思う三年目。

つれづれ

今の私は、約三年前の、DVシェルターを出てきたころとは大違いだ。

苦痛と悲嘆と離別でずたぼろになって死んでいたころと比べたら、ずいぶんと心の安寧を得られている。

フラッシュバックがおこることもなく、死を妄想をすることもなく、起きて、食べて、生活をまわし、ネットで誰かと話す。そんな暮らしをしている。

 

相変わらず引きこもり気味な生活ではあるが、ハローワークへ通ったり、A型作業所の面接に行ったり、色々と迷走しつつも、これからはB型作業所からスタートしようと頑張っているところだ。

以前通っていたようなところと違って、パソコンでの文字起こしが主な作業内容となる。その他はMOSの資格取得にむけた訓練など。

最初は無理せず、午前中のみを選択しようと思っている。

今は体力作りのため、15分ほどの有酸素運動をしているところだ。毎日ぜーはーいいながら自宅で運動して、プロテインを飲み、軽い食事管理をする生活に切り替えはじめている。

 

 

ふと寂しくなるのは主治医との関係だろうか。

今までの主治医二人とはまったく違う。今の私は、問題を抱えた家庭で暮らしていた私ではない。自分自身の問題でしかないからか、精神科医を頼りにするのは抗不安の薬関係くらいだ。

主治医とは心のつながりを感じられず、いつも一分診察で終わる。それほど必要としていないのかもしれない。あるいは、もともと人を信じられる性格をしていないからかもしれない。

 

そう。私はもともと極度に自分に自信がなく、引っ込み思案で、内気で、内省的で、自罰的で、他罰的で、自分も他人も信じられない性格なのだ。

それでもネットでは良い出会いがあり、私に厚意を寄せてくれる人がいるので生きていけるのだろう。

 

 

北の地での生活はこれからが本番だ。

雪の降る地方に住む友人から必要なものを教えてもらい、こつこつそろえ、なんとか冬の生活にそなえている。

雪国で暮らしていけるのだろうかと不安になるが、今は目の前の目標にむかって生きていこうと思う

中断

あまりにも具合が悪くなるので、カウンセリングを中断することにした。

毎回毎回、カウンセリングが終わるたびに疲れきってしまい、週の後半は寝込んでいた。三回目くらいだろうか、うっかりアパートから飛び降りる妄想をしてしまったが最後、くずれるように日常のあれこれが何もできなくなった。


過去にふれるのはまだ早かったみたいだ。

でも、いつなら適切な時期なのだろう?

次から本格的に

今週のカウンセリングが終わった。


家族について触れて喋ることになった。

傷口に触れる作業なので、苦痛もひとしおだった。帰宅してすぐベッドに倒れるくらいには。

家族に関する感情を話す作業は苦手だ。

ようやく忘れて自分の人生とやらを歩もうとしているはずなのだが、やはりいつか必ずぶつかる問題だった。


前の精神科では、あまりに家族に固執しすぎていたため、いったん家族のことは横に置いておいて生活環境を整える作業をこなしていた。

が、北国に引っ越してきてからは、他者との生活に支障が出てきたので、カウンセリングをうけて家族との問題に触れる作業を行うことに。

このままでは苦しいままだ。

家族に関する記憶と感情と欲求を吐き出して整理し、今の問題を解決しなければ。そうしないと私は前に進めない。


今日も今日とて苦痛な記憶を掘り返し、そのときの感情を他者に伝えるという作業をこなしてきた。

疲れた。

来週も同じことをしてくる。

カウンセリング二回目

前回、目標をみつけましょう、心理検査をしましょうといわれて終わった。


最初は雑談というか近況報告からはじまった。

訪問看護師とのこと、彼女とのデートなど。特に訪問看護師とのやりとりは深めに聞かれた。


昨日、訪問看護師と買い物へ行ったのだ。

初めてスーパーに行けて、目当てのものが買えたのは嬉しかったが、全体的に物が高かったのが難点だった。だがなにより、誰かがいる状況で気楽に買い物ができなかった。緊張したし、何を買えばいいかメモをしたのに買えなかった。


そのことを話すと、「訪問看護師のかたに、どう伝えますか?」といったふうなカウンセラーから尋ねられたので、私は「全体的に物が高かったので、次回からは一人で行きます」といった感じのことを答えた。

カウンセラーは、自分の気持ちを伝えることが大事なことを話した。とどのつまり、私は本音ではなく建前を話そうとしたのだ。看護師がいる状況は緊張する、という本音を話すつもりがなかったわけだ。



その後、TEG3という、私にとってはいつもの心理検査をうけた。

結果はNPとACがダントツに高く、ついでA、FC、CPの順で高くなるN型。

自己犠牲的で優しく、尽くし型。嫌と言えない性格。自分を犠牲にすることを良しとしていて、人生を楽しむことが苦手。だそうだ。


私は、たいていの人から『優しすぎる』という評価を得る。

幼少期、それが生きるために必要だったスキルなのだと教わった。それでうまく家庭がまわっていた。けれど、今はその生き方では適応できない。


だからFC、自由な子供の心を育てましょう、と。

昔、DVシェルターでもいわれたことだった。

言いたいことをその場で言う練習をしましょうといわれた。そんなの無理だ。今だって我慢している。ずっとずっと我慢している。けれど我慢しないと人間関係が円滑にいかない。我慢してしまう。言いたいことを言ったら人間関係が破綻してしまう。

こわい。すごくこわい。人が離れていくくらいなら我慢する。どんな理不尽な目にあっても我慢してしまう。




ああ。もう生きているのが嫌になってきた。

カウンセリングのあとは、決まって生きていることが嫌になる。今日も体調が悪い。

ご褒美にケーキを買ってきて食べたけど何の味もしない。おいしいとも感じない。まずいとも感じない。


生きているのが苦痛だ。

しんどい。