カウンセリング初回インテーク
カウンセリングを受けるか悩んでいた。
今のところ生活には問題はなく、人間関係の悩みも少なく、まだまだ療養生活のため、特に変化はなかったのだけど、なにか前進しなければ……という焦りや、アダルトチルドレン特有の性質を改善したいと思い、思いきってカウンセリングを申し込んでしまった。
初回のインテークはどこでもやっている、私自身の幼少期から現在までのヒストリー。家族関係。今の困りごとなど。
聞かれるまま話をしたが、驚くほど記憶の欠落があった。
幼少期はもちろん、小学生、中学生はほとんどなく、高校一年の、母の発病のショックをうけたときのイメージで私の記憶はスタートする。
二十代のころは自傷行為が激しく、自分のことしか考えられなかったため、やはり記憶が乏しい。
私の記憶は、二十八のあの頃からスタートしていた。
カウンセリングルームを出たあと、予想していたよりずっと疲れてしまった。あまり思い出したくない記憶もひきずりだしてきたので、あたりまえなのかもしれない。
もうすぐ一ヶ月
引っ越してきてもうすぐ一ヶ月が経とうとしている。
特に大きな変化はないが、お手帳の福祉サービスで公共交通機関が乗り放題ということもあり、外出してはおいしいものを食べにいっている。
今日も今日とて、所用を終わらせ、公園の散歩をしてパンケーキを食べてきた。
前に住んでいたところは車がないとパンケーキも食べにいけなかったので、無料で乗れる乗り物は便利だなぁと、都会に感謝している。
小さな変化としては、今週、カウンセリングを受けてくる。
主にアダルトチルドレンの問題改善を目指して。
カウンセリング。受けたいと思っても、前に住んでいたところではなかった。都会だからこそあるカウンセリングに、何某かの希望を見出して受けてくる。
何が得られるのかわからない。
何が解消されるのかもわからない。
前に進むのか後ろに進むのかわからない。
わからないなりにカウンセリングを受けてくる。
三週間
北の地に来て三週間が経とうとしている。
精神科は週に二回。昨日、その二回目を終わらせてきた。精神科は薬の相談場所だとわりきって、今はひとまず入眠困難の壁をどうにかすべく、入眠用の薬をあれこれ試しているところだ。
ハルシオンを処方されたが、昨日は歩き疲れて眠れたし、今夜はアロマディフューザーの力で眠れそうな気がする。
昨日、アロマディフューザーを買ったのだ。
約四千円。高い買い物だと感じるだろうが、毎日使っての年間価格を考えれば安いものだ。幸いなことに、ネットの大事な友人からアロマオイルのセットを頂いたところ。
昨日はラベンダー。今日はホワイトティー。不思議なことになぜかほっとする。
食事のほうは、三割お弁当、二割パン屋の惣菜パン、五割自炊といった感じだ。今週は雨ばかりなので、どこかで外食に頼ろうと思う。
そんなんこんなで生活は順調に回りつつある。あとは耳鼻科と歯科を見つけて通うだけだ。
それから、カウンセリングルームに通うか悩んでいる。
特に生活に支障はない。大きなトラウマもない……と思う。言いたいことが言えなかったり、自分の気持ちを伝えられなかったり、やりたいことやしたいことができなかったり、無意識に我慢したりと、小さな物事はたくさんあれど、大きな障害はないのだ。
二、三年前に比べれば、私はずいぶんと混乱もおさまり、薬もすっきりとし、自分というものを手に入れた気がする。
ずいぶんと自我の芽がめばえてきたと思う。
どこか達観していたあの頃より、かなり前向きに、のびのびと日々を暮らしている。
それでも不安に思うことがあるのだ。
他人に煩わせられることなく、こんなに幸せで良いのだろうか、と。
誰の面倒もみなくていい。私一人分の生活をまかなえばいい。誰かのご機嫌をとらなくていい。不機嫌な人は誰もいない。誰かの顔色を伺う必要がない。誰かのスケジュールに合わせなくていい。私の組んだスケジュールで行動したらいい。
いたってシンプルな生活を送っているはずなのに、過去にしてきた行動や思考が足元を邪魔する。不安になる。
今の生活でいいのか?と誰かに聞きたくなる。
カウンセリングで解消できることなのかすらわからない。まともにカウンセリングを受けたことがないからだ。
カウンセリングを受ける必要はあるのだろうか?
初診
前の病院での紹介状をみせてもらった。
診断名は、持続性うつ障害と書いてあった。一昔前の気分変調症だ。
この病気との付き合いは長い。十八で受診し、二十歳ごろにはこの病名だったように思う。躁エピソードを挟んで躁鬱になったわけだが、前の病院では躁エピソードはみられず、この病名になったのだろう。
付き合いの長い病名だ。
医者から診たらうつにみえるのかもしれない。私にとってはこれがスタンダードだから、あまりうつとは感じない。
気力がない。食欲もばらつきがある。疲れやすい。眠りにくい。常に自尊心が低い。すべていつものことだ。
機能不全家庭育ち、虐待された人特有の複雑に絡みあったものがある、と新しい医者は言っていた。
新しい医者との人間関係の構築がはじまる。
外れた、とは感じなかった。
わかりやすくするためか、睡眠導入剤について、ストレスを和らげるノウハウについてのリーフレットがすぐに出されるくらいにはしっかりしていた。
事前に初診のメールを送っていたが(メールでは断られたけれど)、医者側もそれを覚えていたようで、家族については根掘り葉掘り聞いてこなかった。おかげで余計なトラウマ話をせずにすんだ。
これから人間関係を築いていかなければならない。
訪問看護も頼んだ。
ヘルパーも頼む予定だ。
前と変わらぬ、福祉に頼る日々がまたはじまるだろう。
新居
また郵便ポストの場所を探す日々がやってきた。
そんなわけで、遠い遠い北国まで引っ越してきた。
部屋探しは、やはり難航した。家族がいないというだけで断られる保証会社の多いことよ。それでもマシな物件が見つかった。駅まで遠い、スーパーまでも遠い。そんな場所にあるアパートにこしてきた。
節約の日々が実ったおかげで、引っ越しは金の力に任せて梱包から開梱まで全部やってもらった。おかげで部屋には段ボールがほとんどない。
シェルターから出てきたばかりの約三年前と比べるとメンタルの調子はいい。あとは体力だけだ。
とはいえ、メンタルの調子が良いというのは当時と比較してのことで。やはりここ連日、過去の出来事をあちこちで話してきたからか、心身共にざわざわする。
見知らぬ部屋で、いつものベッドで眠る。
はじめてのワンルームだから部屋の配置に慣れない。
とりあえず明日からは雨なので、部屋でのんびり小説を読みつつ、誰かと通話する日々を過ごしたい。
転居
家族が追いかけてくるんじゃないかという不安と仕事探しで引っ越すことになった。
今日は転出届をとりに行ったのだが、不意打ちで支援措置の用紙を書くことになり、かなりの精神的ダメージを負って帰宅した。また引っ越し先でも一から支援措置のやりなおしになる。非常にメンタルにくる。また最初から赤の他人に家庭の事情を説明しなきゃならない。
ひとりで生きていくことには慣れている。
数年前から、六十歳くらいになって両親を看取って財産分与してすべて片付けたら、あとは老人ホームで過ごしながら、隣の席の人とご飯がおいしいねと笑いあう人生を夢見ていたのだから。
ゆっくり過ごす間、家庭裁判所へ行って名前を変える手続きをしよう。
やることは山のようにある。
引っ越し先の気候はこれから暖かくなる時期なので、散策にはもってこいの季節なのだ。
レンタカーを借りて市内をぐるぐる走ろうか。隣の市まで行って遊んでこようか。聖地巡礼でもしようか。
どうか私のこれからが幸多きものでありますように。