過剰摂取
薬の過剰摂取は自傷行為のひとつにあたる。
この二週間で二回もやった。
二週間前は睡眠薬と抗精神病薬を二倍量。昨日は抗不安薬、たぶん8錠くらい。
どれも希死念慮というか自殺願望というか、自分の意識と体が離れ、身体破壊行為をするのを止めるためというか…。
自分が持っている希死念慮は、どちらかというと「死にたい」が中心ではなく、「この体を壊してやる」「包丁を刺して殺してやる」に近い。包丁が大好きらしい。昨日は手の甲に刺したかったそうだ。映画の見過ぎだ。
今の自分にはリストカットは金がかかるので選択肢に入らない。金がかからずに自傷行為をする方法としては、たぶん薬の過剰摂取が最適なのだろう。
なぜこんなことをするのか。理由は色々ある。
親との関係。
きょうだいへの恐怖。
ここにいるべきではないといった孤独感。
見つかるかもしれない恐怖。
横になってるしかできない自分への情けなさ。恥ずかしさ。無力さ。
もちろん知識としては、今はそういう時期であることは理解しているのだ。
あの環境から逃げるため、行政に助けを求め、しかるべきルートで逃げただけでも自分は本当によくがんばったと誇りに思う。
逃げる前、両親と祖母に社会福祉士との繋がりも準備した。自分と同じ社会的弱者である家族に福祉を繋ぐことができたのは、きっと自分しかいなかった。
私がやってきた仕事も教えた。どこに何があるかも何度も伝えた。
やることをやって離れた。
警察越しではあるが、生きていることも伝えた。
自分なりにやることをやって出てきた。
休む時期なのは理解している。
二年か三年は休む必要があるだろう。三十年分の痛みが治るとは思えない。自分自身が予想しているよりダメージがあると思っている。
絶対に治らない傷を抱えて生きていく覚悟をしなきゃならないのに、まだそれを受け入れられない。認められない。
こうして休んでいる間に見つかるかもしれない不安を抱え、その不安が大きすぎて外にも出られないありさまだ。
過剰摂取という自傷行為とどう付き合うか。
一時的とはいえ、離人症状、現実感消失をはっきりと自覚してからというものの、体を壊そうとする自分の存在が邪魔だと感じる。これを動かさないために体を眠らせる。
他にも、日中の苦痛を回避するために薬を飲むこともある。
なるべく自傷行為はしないほうがいいが、他のコーピングが作用しないときはこれに頼るしかないとも思う。
今は自傷行為そのものを否定せず、うまく付き合っていく方法を医者に話していくことだろうか。