思い出す苦痛


看護師に転院の相談をした。

転院するかしないかを決めるのは私なので、看護師は医者がどんな感じなのかを訊いてきた。


医者は話を聞いてくれるか。

医者に伝えたいことを伝えられているか。

医者とどんな話をしたいか。


私は医者の声が聞こえないのだ。

何か言ってるのはわかるのだけど、頭の中が真っ白になって聞き取れない。視界もかすんでゆく。己の世界が無音に近くなる。


日常生活を送っている人にとっては、まずありえない感覚だろう。私とて、初めて覚える感覚で戸惑っているし、かなりの恐怖を感じている。


とても近い距離で『男性』がしゃべっている。

殴ろうと思えば殴れる距離。突き飛ばそうと思えば可能な距離。そんな近い距離で、なおかつ診察室という密室での会話は、私にとって恐怖でしかない。



「聞こえないんです」と看護師に伝えた。

ボロボロ泣きながら。聞こえなかったあの診察室での出来事を思い出して泣いていた。

なぜ聞こえないのかわからない混乱。薬局で混乱が収まってゆき、ぼんやりする時間。診察室での会話を思い出せない罪悪感と自責感。

それらがいっぺんに襲ってきて、今日も泣いて終わった。


ああ。あれがフラッシュバックか。などと思いながら打ち込んでいる。

自分が診察室にいて、目の前に医者がいた。ビニールの仕切りごしにマスクをつけた医者がいた。医者が退室を許可しないかぎり、けっして逃げられないという感覚をまだ覚えている。



月に一度、自ら恐怖を浴びにゆく。何かの修行だろうか。

聞こえない状態のなか、どうにかして医者とコミュニケーションをとろうとして、診察ノートに質問を書き記し、記入を頼んでいるのだ。

これをあと何度か繰り返すしかない。

転院して、また一から話すのも苦痛だ。そのエネルギーがどこにもない。


時間をかけながら人との距離感をとれるようにっていうけれど、『人』ってどこにいるんだろう?

恐怖心を減らすためには人との関わりを増やしていくそうだけど、『人』ってどこにいるんだろう?


その『人』と『人』との繋がりで、家族に居場所がバレたらどうしよう。そう考えるだけで、私の世界は歪んで灰色になる。